私は幼少期によく母からこの言葉を言われました。
相手のことを嫌だと思うことがあるならば
それは自分の直した方がいいところ。
小学生の時に言われた言葉を結構覚えていて
ずーっと意識して過ごしていた。
で、私のこころが疲れた時にいろいろな本やブログを読み漁ってる時、
この「他人は自分の鏡」のキーワードをよく見かける
心が疲れた時ほどやった方がいいこと
こころが疲れた時ほど、「自分の感情と向き合うこと」を心がけていました。
人間がこの地球に生まれてきた意味の一つは
「感情を経験する」ことだと思うのです。
自己啓発本やこころ関係のブログを読むと、
やれ「感情を手放せ」とか「解放しろ」なんて書いてありませんか?
でも、感情を開放するって何?
感情を解放するって何
ムカついたときは大声でどなればいい?
悲しいときは大きな声を出して泣けばいい?
「感情を手放すってなに?」が最初のテーマでした。
そこで気になり始めたのは「他人は自分の鏡」の母の言葉
他人は自分の鏡と人の振り見て我が振り直せの違い
この言葉の意味を考えた時に、
「人の振り見て我が振り直せ」もよく似たニュアンスだと思ったの
「人の振り見て我が振り直せ」の意味は「人を責めずに自省せよ」.
「人の振り見て我が振り直せ」は、相手の欠点や間違いを批判するのではなく、
わが身を振り返り知徳を積むための便(よすが:手がかり)にしましょうという意味のことわざです。
「他人の失敗を生かす」「人の経験から学ぶ」などの解釈も間違いではありませんが、
より謙虚に「自分も同程度に違いないので、この機会に改めよう」という自戒の意味もあるそうです
でも、「人の振り見て我が振り直せと」「他人は自分の鏡」とは少し違う気がする。
例えば、バチくそ意地悪な人が私の人生に現れ、信じられないような意地悪をする。
私は、「他人は自分の鏡って?あんな意地悪私は絶対しない」と思うわけです。
では、なぜあの人は私の鏡として私の人生に召喚されたのか?!
自分があの人のように意地悪かどうかがポイントなのではなく
意地悪されて湧き上がってくる感情こそがポイント
その人の意地悪を見て、どんな感情が自分に湧き上がってくるか?!
多分、意地悪されて嬉しい人などいないはず
大体は、むかつく、悲しいなど 「怒り」や「悲しみ」
そこで、こんなことされても私は悲しくない悔しくない、怒ってもしょうがない
と、感情を押さえつけてしまうわけです。
自分ていうのは、実は2人くらいいるみたいで常に感情の波に流されまくっています。
いつも「これが自分」と認識している自分Aと
感情に流されてることに気づいて欲しいと思ってるもう1人の自分B
もう1人の自分Bは、色々気づいて欲しいわけ。
「ムカつくことがあれば怒ってもいいんだ!」と気づいてあげることこそ
いわゆる、感情を手放すってことなのではないのでしょうか?
感情を手放すって言うと、もうさようならって感じに取っちゃいそうだけど
そうではなくて、あぁそういう感情も味わった、でももうその感情はわかったから
もう無くしていいよ、と自分と自分の感情を融合される感じ。
ってことは、自分の人生に登場する人々は、みなほぼ
自分Aに何かを気づかせてくれるために登場してくれているようなもの。
特に気になる人ほど、自分が押さえ込んでいる感情。
解放してあげないといけない感情を気づかせてくれているので向き合うチャンス
それを思い出してみると、
自分が苦手とする感情だったりするのではないのでしょうか?
逆に、別の誰かを見て、なんて素敵な人なのだろうと思える人がいたら、
それはあなたにもそんな素敵な一面があることを見せてくれてるのだと思う。
自分の感情を分析すると
このように自分の感情を分析していくと
物事を客観的に対処できるようになり、本当に生きやすくなると思う。
日々の忙しさや、諦め、不満などに振り回され
より良き人生を送るヒントがそこらじゅうに転がってるのに、
私たちはそれをずーっと無視してるか気付けない。
もったいないよね〜。
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